岐阜県ハンガリー友好協会を立ち上げた頃、県下には残念なことにハンガリーを知る人は、ほとんどいませんでした。また、リスト音楽院がどのくらい権威があるか、知る人はいませんでした。
そこで私たちは、2つの主な事業を考えました。

1.ハンガリーの夕べ

 ハンガリーを知ることと、「食」も文化との考えから考えました。
この事業は、駐日ハンガリー大使館から大使と総料理長をお招きし、大使からハンガリーのお話を聞き、その後、総料理長の手による本格的なハンガリー料理を楽しもうというものです。
この催しは、第1回目を未来会館(岐阜市)で開催しましたが、大きな反響を呼び、その後、毎年1回、岐阜県内各地で開催して、今では定番の催しとなってます。

           
 1回目 1995年2月 岐阜市・未来会館(イシュットヴァーン・ラーツ大使)
 2回目 1996年2月 美濃加茂市・シティホテル美濃加茂(シュディ・ゾルタン大使)
 3回目 1997年2月 下呂市・水明館(シュディ・ゾルタン大使)
 4回目 1998年2月 大垣市・ソフトピアジャパン(同上)
 5回目 1999年2月 恵那市・恵那峡国際ホテル(同上)
 6回目 2000年2月 岐阜市・岐阜市文化センター(同上)
 7回目 2001年2月 高山市・高山グリーンホテル(同上)
 8回目 2002年4月 岐阜市・ふれあい会館(同上)
 9回目 2003年3月 古川町・季古里(セルダヘイ・イシュットヴァーン大使)
10回目 2004年5月 岐阜市・岐阜グランドホテル(同上)
11回目 2005年6月 多治見市(ジュラ・ダブローナキ大使)
12回目 2006年3月 岐阜市・岐阜グランドホテル(ジュラ・ダブローナキ大使)
13回目 2007年4月 下呂市・水明館(ジュラ・ダブローナキ大使)
14回目 2008年2月 大垣市・大垣フォーラムホテル(エルヌー・ボハール大使)
15回目 2009年4月 岐阜市・岐阜グランドホテル(エルヌー・ボハール大使)
16回目 2010年4月 石窯ピザ「ピザ クープ ドゥ シナモン」/笠原町
タイル製造工場~(株)(エルヌー・ボハール大使)
17回目 2011年3月 関観光ホテル(エルヌー・ボハール大使)
18回目 2012年2月 可児市文化創造センター(セルダヘイ・イシュトヴァーン大使)
19回目 2013年4月 奥飛騨温泉郷中尾高原ホテル(セルダヘイ・イシュトヴァーン大使)
20回目 2014年4月 岐阜グランドホテル(セルダヘイ・イシュトヴァーン大使)
21回目 2015年11月 岐阜グランドホテル(セルダヘイ・イシュトヴァーン大使)
22回目 2017年12月 可児市・オーベルジュ・ドゥ・リリアーヌ(パラノビチ・ノルバート大使)
23回目 2018年12月 岐阜市・岐阜グランドホテル(パラノビチ・ノルバート大使)
24回目 2020年2月

シティホテル美濃加茂 (ケレケシュ・アンドラーシュ二等書記官)

2020年

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により中止

2021年

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により中止

2022年

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により中止

2.ぎふ・リスト音楽院マスターコース

 岐阜県ハンガリー友好協会の設立にあたって会長は、「何か社会に役立つことをしよう」と提案されました。当時岐阜県は、音楽・花・スポーツをテーマに行政を進めようとしていましたので、音楽ならリスト音楽院として、マスターコースを考えたものです。役員の中に、リスト音楽院教授と親しい人がいたことも幸いしました。
マスターコースは、音楽家の育成、愛好家の拡大、国際交流を目的に、リスト音楽院から教授をお招きし、レッスンとコンサートを開催します。最大の特徴は、留学システムがあることです。レッスン終了後留学選考会があり、教授に認められますと留学できることになっています。この留学システムは世界で初めての試みで、次第に全国に波及する大きな要因となりました。

この留学システムからリスト音楽院に留学した音楽家は、延べにして約70人、修了、帰国した音楽家は、約30人にのぼります。(2007年9月現在)
この音楽家のほとんどが、ヨーロッパ、日本、国内各地で活躍しています。

この事業は、岐阜県ハンガリー友好協会の主催で、1995年7月、「リスト音楽院マスターコース」として、チェロ部門(オンツァイ・チャバ教授)から始まりました。
2回目は、ピアノ部門(ヤンドー・イエネ教授)、3回目は、再びチェロ部門と進めてきたところ、その夏の終わりに県側から誘いを受け、4回目となる1998年7月から岐阜県と大垣共立銀行の協力を得て、「ぎふ・リスト音楽院マスターコース」として、ピアノ・ヴァイオリン・チェロの3部門を揃えて、全国事業へと発展してきました。2001年からは、運営主体を岐阜県に渡し、友好協会は、サポートに回っています。

毎年春に受講生の募集を行い、7月下旬に教授が来日、1週間のコンサート週間後5日間のレッスンと留学選考会が開催されます。


この2大事業によって、ハンガリーを知る人は多くなりました。
また、若い有望な音楽家がリスト音楽院をめざし、マスターコースを受講するようになりコンサートによって、音楽愛好家も増えるようになりました。
岐阜県ハンガリー友好協会は、こうした成果をさらに発展させたいと願っています。

■その他の事業

1997年 ブダペスト工科大学とソフトピアジャパンの共同研究を提案し、5年にわたって実施
1998年 ヘレンドと美濃焼の連携を提案し、ヘレンドマイスターの多治見市訪問や、現代陶芸美術館がヘレンド製品所蔵など連携事業を進行中
1996年 ハンガリー建国1100年を記念し、桜の苗木200本を寄贈。ドナウ河畔に植樹。また友好時計を寄贈し、ブダペストII区ローズガーデンに建設(協力:リコーエレメックス)
1999年 国際フォーラム「ミーティングポイント」を提案し、開催。在京、中欧5カ国の大使が岐阜に集まり中欧の存在をアピール。日本で初めて中欧をテーマにし、話題を集めた。

ショプロン市郊外の「ヨーロッパピクニック計画」の現場に井戸を掘り、「平和の聖地」としてその偉業を讃え後世に残した。
2001年 ブダペストの街作りから、ブダペストのデムスキー市長をお招きし、高山市で「世界遺産を活かした街づくり」フォーラムを開催する提案をし実施
2002年 「大使と語る中欧の魅力」と題してテレビフォーラムを提案し、岐阜女子大学をキーステーションにハンガリー共和国大使とチェコ共和国大使をお迎えし、岐阜県内2カ所の高校と回線を結んでテレビ会談を実施した。
2003年 ブダペストの国際芸術祭、スプリングフェスティバルに協賛して、「フレンドシップアンサンブル」を提案。リスト音楽院に留学している日本人学生にハンガリーの学生が加わってアンサンブルを編成、日本の曲とハンガリーの曲を演奏し好評を得ている。催しは、以降、毎年継続している。
2004年 大垣市の芭蕉生誕350年に合わせ、共立グリーンハーモニーを提案。リスト音楽院を修了し帰国した音楽家にハンガリーの音楽家の参加を得て日本で、フレンドシップアンサンブルを編成しコンサートを開催。
2007年 東京のハンガリー共和国大使館内で「大使館コンサート」を開催。以降、継続の意向
2008年 2009年の国交樹立140年、国交回復50年のプレイベントとして日本・ハンガリー国交樹立140周年前年祭 リスト音楽院の仲間たち~ハンガリー音楽の愉しみ~を、東京・浜離宮朝日ホールにて開催。
また、県との交流が10年を迎えたハンガリー・ヴェスプレーム県から、新たに就任されたラストヴィツア・イエノ議長らが岐阜県内各地を訪問、視察された折り、各地で懇親会を開催し交流を深めた。在日EU加盟国大使館、駐日欧州委員会代表部主催のハンガリー・ボハール大使の講演「EUがあなたの学校にやってくる」が大垣市立西中学校にて開催。去年に引き続き「大使館コンサート」を開催。
2009年 交流年(国交樹立140周年・国交回復20周年)、岐阜県ハンガリー友好協会創立15周年の祝祭年として様々な事業を開催。
音楽部門「日本・リスト音楽院楽友会」の留学修了生会員などによる、子どもたちを対象にした「もとすファミリーコンサート」を開催(2月)。4月には創立40周年を迎えた大垣女子短期大学にボハール大使をお招きし、「グローバル時代に臨む」というテーマでの講演会と15回目となった「ハンガリーの夕べ」を盛大に開催。なおこの折りの大使館料理長と岐阜グランドホテル料理長によるメニューは、「ブダペストメニュー」と大使より命名をいただく。5月より8月までハンガリーとオーストリアの三ヶ所で開催された「加藤幸兵衛陶芸展」は大好評となり、各地で交流が深まる。恒例の大使館コンサートは、交流年を記念したリスト音楽院に関わる音楽家や関係者で「リスト音楽院祭り」として開催(6月)。7月より8月に渡って開催されたマスターコンサート・マスターコースでは、今年も大きな成果がみられた。さらに、滞在を延ばされたサバディ・ヴィルモシュ准教授と地元留学修了生とのコンサート「リスト音楽院の仲間たち~ヴァイオリニスト サバディ・ヴィルモシュと共に~」を、名古屋市、大垣市、門真市、金沢市、東京都の五ヶ所で開催し、多くの聴衆を魅了した。纐纈理事が、ハンガリー共和国より文化功労賞を受賞、また各地の友好協会が参加した「全国のつどい」では、今までの交流などを写真パネルにて展示(9月)。リスト音楽院の学生による「リスト音楽院管弦楽団祝祭コンサート」を飛騨市で開催し、大盛況となる(11月)。

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